根性論に耐えた結果と思うこと

「水を飲むな」「声を出せ」「気合で乗り切れ」。
一昔前の運動部や、氷河期世代が社会に出たときは、これがスタンダードだったのです。
昭和の根性論と体育会系文化を生き抜いた世代として
私は昭和51年生まれ(早生まれ)で、団塊世代や戦後の世代から“根性論”をたたき込まれて育ちました。今も昔も体育会系のノリや精神論が大嫌いな私ですが、部活は野球部でした。
「水を飲むな」「声を出せ」「気合いが足りないから勝てない」……。そんな指導が当たり前の時代でした。今となっては考えられないような理不尽な練習や上下関係の中で、「耐える」ことを自然と覚えていったのです。
もちろん、ある程度の粘り強さや継続力は、社会で生きる上で必要です。でも、それは必要以上に鍛えるものではありません。限度を超えてしまえば、それは体罰やハラスメントにつながり、心や体をむしばむ原因になってしまいます。
氷河期世代の働き方と、心が折れかけた瞬間
私たち就職氷河期世代は、ちょうどそんな昭和の価値観と、バブル崩壊後の不況という二重苦に直面しました。新卒で希望していた職種に就けず、事務経験を積むためにやむなく派遣社員として働いた経験もあります。不況のあおりを受け、将来の見通しも立てにくい時代でした。
そんな中でも「なんとかしのぐ」「我慢して耐える」ことだけで乗り越えてきた自分がいました。ある程度のメンタルは鍛えられたと思います。でも実際は、ギリギリの状態で踏ん張っていただけかもしれません。
理不尽な上司、報われない努力、出口の見えないキャリア──何度も心が折れそうになりました。実際に、体調を崩したり、精神的に限界を感じたりした経験もあります。
根性より大切なのは、自分を癒す力
そんなとき、私は「産業カウンセラー」という資格に出会いました。学びを通じて、働く人の心に寄り添う大切さや、セルフケアの重要性を実感しました。「耐えること」が正解だった時代から、「自分を癒す力」が求められる時代へと、価値観が大きく変わってきているのを感じています。
今、社会の中でメンタルの問題はますます複雑になっています。経営者も個人事業主も、オフィスワーカーも、誰しもがストレスと無縁ではいられません。
だからこそ、「頑張り続ける」よりも、「立ち止まり、整える」時間が大切です。
昭和の根性論に耐えてきた世代として、私たちはもっと自分に優しくなってもいいのではないでしょうか。耐えてきた経験を否定する必要はありません。