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派遣時代の話をしようか

eguyan
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私は派遣社員として働いた経験があります。
楽しいこともありましたが、派遣ならではの理不尽な経験もしました。
それも含めて、今となっては良い経験になったと思います。
もう25年ほど前の話なので、当時と比べて派遣制度や各会社のシステムなどは変わっているかもしれませんが(すでに存在しない派遣先もありますが)、参考になれば幸いです。

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事務経験を積むために派遣の道へ

私の場合、新卒で入った会社の配属は、自分が希望していた事務系とは全く異なるシステムエンジニア(SE)職でした。
転職を考えてもSEの経験しかなく、同じような仕事しかできないのではないかと不安でした。
(今思えば、第2新卒という選択肢もあったかもしれませんが。)

ハローワークで仕事を探していたとき、派遣で某携帯電話会社の料金センターの仕事を見つけ、未経験でもOKとのことだったので、登録して顔合わせという名の面接を経て勤務が決まりました。
ここはよほどのことなければ採用されるようで、私も無事に通過して勤務が始まりました。

新卒で入った人もいたので私が一番下というわけではありませんでしたが、フロアに100人ほどいる職場の中では若手の部類。社員は10〜15人ほどで、残りはすべて派遣社員。20代が多く、働きやすい雰囲気でした。ここでは1年3ヶ月勤務しました。

その後は古巣の親会社のメーカーで、人事サービスのサポート業務を立ち上げスタッフとして担当しましたが、わずか3ヶ月で契約終了。その後3ヶ月ほどは書庫整理を任されました。

次は多摩地区の検査会社で半年ほど請求業務の仕事をし、その後、都内のカー用品会社の子会社である広告会社で人事総務を経験し、ここで初めて本格的に人事総務の仕事に携わることになりました。

ただ、上司にあたる課長は部長や社長に怒られてばかりのおどおどした人で、営業や制作部門から私に相談が来ることもしばしば。(派遣の立場ながら頼られることが多かったのはうれしいのですが・・・)

ある日、たまたま私以外の課長や課員が不在のときに社長から電話があり、課長の不手際に激怒した社長が私に怒りをぶつけてきました。言葉の中には私の体格に関する、今ならセクハラにあたるような発言まで含まれていて、私は驚くしかなく、なぜか謝罪してしまいました。

時間が経つにつれて理不尽さへの不満が大きくなり、もともと課長への不信感もあったため、その会社は紹介予定派遣でしたが自分から辞退しました。契約期間までは働いてほしいと言われましたが、ちょうど社員として人事職に採用してくれる会社が見つかり、すぐに転職することに。派遣会社には申し訳なかったですが、今なら訴えてもいいレベルの出来事でしたので。

いつクビを切られるか・・・

派遣は基本的に最長3年間しか働けません。予定通りの満了なら問題ありませんが、いつクビを切られるかわからない不安があります。契約は3ヶ月や6ヶ月単位ですが、派遣先の業務の都合や人員調整によって更新されないこともあります。長く働きたい人にとっては、更新時期は気が気ではないでしょう。

また、料金センターのような例外を除き、事務で男性の派遣社員は需要が少なく、募集記事には書かれてなくても「女性限定募集」と言われることも多々ありました。
男性はIT系や技術系、あるいは自動車の期間従業員の募集が多かったです。ちょうど私が派遣で働いていた2003年頃は、小泉政権が製造業への派遣を解禁した時期とも重なりますね。

派遣で働く理由は人それぞれ

派遣で働く理由はさまざまです。国家試験の勉強をしながら残業のない仕事を選ぶ人、子供が学校に行っている間だけ働く人、やりたい仕事の準備期間として働く人もいました。携帯会社の料金センターでは、社内試験を受けて社員を目指す人もいました。

ただ何となく派遣をしている人は少なく、多くの人が目的を持って働いていた印象です。私は派遣を合計で3年ちょっと経験しました。遠回りをしたように見えるかもしれませんが、最後の派遣先で人事総務を経験できたことは大きな財産になりました。その後は社員として人事総務のキャリアを積み重ね、今につながっています。

人生は必ずしも計画通りには進みません。私自身もざっくりとした目標しか持っていませんでしたが、それでも方向性を持って動けば道は開けます。派遣時代の経験も、今の自分にとって欠かせない一部です。

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EGUYAN
富山県富山市生まれ、埼玉県川越市育ち、現在も川越在住。 ワーケーションソリューション(Well is)代表 日本産業カウンセラー協会認定産業カウンセラー。 野球と旅とまいう〜と。がモットー。
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