根性論大嫌いでも、時には気合いでやる

普段、気合いや根性論は大嫌いです。
でも、時には「気合いを入れてやるしかない」場面もあります。
根性論がイヤで部活を辞めた?
昭和生まれの就職氷河期世代である私たちは、親や会社の上司など、高度成長期を生き抜いてきた「根性世代」に囲まれて育ちました。
そのため、気合と根性を押しつけられ、「乗り切れ!」と言われることが日常でした。
高校に入り、文系クラスだった私は野球部に入部しました。
体育会系の空気がどうしても合わず、しかも強豪校というわけでもなく、県大会は初戦敗退レベル。
入部から1ヶ月半ほどで肩を壊したこともあり、退部を決めました。
同級生の部員からは「根性ないな」「弱いな」と言われましたが、正直なところ、自分には無理だと判断した結果です。
最近、YouTubeやテレビでプロ野球OBが語る甲子園常連校の裏話を目にします。
付き人制度や連帯責任など、理不尽なエピソードが次々出てきます。
当時の私の野球部にはそこまでの理不尽さはなかったものの、「体育会系の空気」が合わなかったのは確かです。
切羽詰まったら気合いを入れるしかない
大人になっても、気合いや根性を要求される場面は多くあります。
システムエンジニアとして働いていた頃は、終電で帰っても翌朝は定時出社、徹夜作業も当たり前。プロジェクトリーダーからは「気合いでやれ」と言われていました。
その後は事務系の仕事をしているので、そこまでの気合いを求められることは減りましたが、同じフロアの営業部では「気合いが足りない!」と部下に怒鳴る上司の声が響いてくることも。
聞かされる側としては、あれほど不快なものもありません。
そんな私も、独立してからはすべてをひとりでこなさなければならず、納期に追われたり、急な仕事が入ったりと、イレギュラーな状況に対応する毎日です。
気合いが嫌いでも、必要なときには気合いを入れて乗り切らなければいけないこともあるのです。
根性論は他人に強制するべからず
上司が部下に対して根性論を押しつけるのは、今の時代にはそぐわないやり方です。
相手の心身に悪影響を与える可能性も高く、個人の特性や限界を無視した一方的な精神論は、時代遅れどころかパワハラにすらなりかねません。
ある大企業では、カリスマと呼ばれる会長の精神論についていけず、社員が大量退職したという週刊誌のネット記事を目にしました。
これが大きな問題として表面化しないのは、誰も声を上げられない企業文化が根深くあるからでしょう。
(個人的には、こういった“気合い文化”を「気合いで!」ごっそり変えてみたいものです。お仕事のご依頼お待ちしております)