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震災から8年、今思うこと。

eguyan
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8年前の3月11日は金曜日だった。
ぼくは有休を取って、みなかみの上牧にある温泉に向かっていた。
電車を降りて宿に着いて部屋に通され、入ったそのとき、あの地震が起きた。
すぐにテレビをつけると、とんでもない状況が東京や大阪から報じられていた。
最大震度7、北海道から沖縄まで、日本列島全部が揺れ、そして全海域で津波警報。
そして東北では大津波警報。
急いでTwitterで海の近くに居ると思われる友達に、とにかく逃げて!って送ったと思う。
そしてテレビを必死に観て、仕事中の友達にテレビで流れる状況を送ったと思う。
その後、リアルタイムで画面に現れる、津波が来る画。

それを観て、しばらく海の近く、そして被害がひどかった三陸沿岸にも行けなかった。
このままだと、日本人としてどうよ?って勝手に思い、やっとの思いで行けたのが、6年経ったおととし。南三陸町と気仙沼市。そして去年の釜石市。

↑釜石駅前の市場。

↑市内にあるビルには、津波の到達点が表示されている。市内でこの高さ。あまりの高さにショックを受けた。
以前行った南三陸町〜気仙沼市間の国道沿いには、もっと高いところまで津波が到達したことを表す標識があった・・・

↑駅前にある新日鉄の事業所。ラグビーでおなじみの新日鉄釜石。
このあたりも津波で浸水したそうだ。

復旧は確かに進んでいた。ハード面、見た目は。
でも、ソフト面はまだまだ。
米軍に思いやり予算出すより、まず自国の苦難が先だろ、と政府と国会議員に言いたい。

大きい地震は、震災前にもあったけど、あの日被災したときの体験や映像で流れるものがあまりにも信じられなくて。
それに東北3県の被害があまりにも大きすぎて、関東や北海道も被災したことを忘れられているんじゃないか。
北海道、千葉、茨城も大きな津波が押し寄せ、亡くなられた方も大勢いる。
都心でも、建物の崩壊で亡くなった方もいる。

やがてまた、大きな地震が来るかもしれない。
そのときに備えた生活っていうのを、あの地震を契機に考え直さなければならないのに・・・
東京に通勤していて、そういう空気が少しずつ薄れているように感じた。

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EGUYAN
EGUYAN
富山県富山市生まれ、埼玉県川越市育ち、現在も川越在住。 ワーケーションソリューション(Well is)代表 日本産業カウンセラー協会認定産業カウンセラー。 野球と旅とまいう〜と。がモットー。
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